{社会}労働争議について

これもhttp://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20030822#p3にてご批判をいただく。
ここで強調したいのはあえて「(当座は)」と付加した意図である。労働争議が労働基本権として認められたものである以上、そしてストライキが有力な労働者の武器である以上、最終的にお客様に迷惑をかけること(=ストライキ)はやむを得ないと思っている。しかし、電車バスの乗務員は、まだ交渉初期段階(あるいは交渉前)であるにも関わらず赤い腕章をつけていたりする。
ここで、私は、「電車バスの乗務員は(労使紛争解決のためなら)客に迷惑をかけてもいい」と思っているのではないか、その思いが腕章に繋がるのではないかと思うのである(いや争議権があるから迷惑かけてもいいんだけど)。迷惑かけるのが法的に可能、と実際に迷惑をかける、のではえらい違いだ。
なぜ普通のサービス業や小売業では赤い腕章をしないのか。それはそんな腕章をつけてお客様に不快感を与えるとお客様が逃げてしまうからである。売り上げがなければ賃上げどころの騒ぎではない。
これに対して鉄道・バスはほぼ市場を独占している(関西の私鉄とか、長距離バス路線とか、競合は増えつつあるが)。お客様に対して不快感を与えても当座売り上げが減ることはない。これは「独占にあぐらをかいている」ことにならないだろうか。労働組合が独占資本のメリットを享受するなんて、何とも逆説的ではないか!
日常から赤い腕章をする精神。それは労働争議だけの問題ではなく、日常の接客態度にも繋がる。もちろん愛想のいいバスの運転手もいるが、そうでない方が圧倒的に多い。とても客商売とは思えない接客をする人間もいる。なぜそんなことになるのか。この精神は赤い腕章精神と共通だ。
つらつら述べてきたが、もっとバスの運転手さん愛想よくしてね、という主張だったのだろうか。文章の結論をまとめるのが下手でいけない。
以上の主張はまさに「当為の問題」なのでそれこそ神学論争になる。役所の文書ならば絶対に書かない類の主張である(笑)。