宮崎勤死刑執行に思う

一オタクとして、備忘のために記そうと思う。
宮崎勤の一連の事件と、その後の宅八郎の大活躍によって、少なくとも私は、オタクであることを公言しないという選択を行い、今もそれは継続中だ。
あの時期、いやその後相当の時間がたって、早くともエヴァンゲリオンが社会現象とも言えるブームを巻き起こすまで、遅くとも麻生太郎氏が秋葉原で演説するまで、オタクであることを社会的に表明することは、社会的自殺行為だった、と認識している。アニメ好きは社会的落伍者であったし、コミケへの参加は「十万人の宮崎勤」のひとりとなることだった。
事件の頃の一連の報道で、大量のビデオテープが積んである彼の部屋の画像が流れていた。よく考えれば私の友人にはあれを優に超えるビデオテープとLDをため込んでいる奴もいた。オタクであることを公言している奴もいた。
そして電車男もあった。秋葉原も良くも悪くもメジャーな街になった。もうそういう時代ではない、宮崎勤は文字通り死んだんだ、という人もいよう。しかし、私にはそうとは思えない。その後も何かある度に犯人がアニメファンだとか、フィギュアがどうとかあったし、つい先頃の秋葉原通り魔も…。
宮崎勤を知らない世代、具体的には今の十代に期待するしかなかろうか。