事務次官等会議廃止論と、政府内意見調整システム

 一方、同党は閣議前日の事務次官会議を「閣議を形骸(けいがい)化する官僚主導システムの象徴」(菅代表)と批判。政権獲得時にはこれを廃止して、閣議副大臣会議を中心とした脱官僚政治家主導の仕組みに変更することをマニフェストに明記している。

副大臣会議に法案審議委ねる 民主党、若手能力上げ狙う

なんか以前も書いたような気もしないでもないけど。
まず名称だが、閣議の前日に行うのは「事務次官会議」ではなく「事務次官『等』会議」である。これは、会議の司会として内閣官房副長官が出席することから、出席するのが事務次官だけではないよ、ということを示している。正確な語を使ってもらいたいものだ。
さて、民主党は一貫して「事務次官等会議廃止論」を唱えている。しかし、官僚や有識者は「そんなことをしても無駄」と思っている。なぜか。
民主党は、閣議の前日に行われる事務次官等会議が政策を実質的に決定しており、そのため、閣議での決定は「事務次官等会議決定の後追い・形式的承認」に過ぎず、政治主導が果たされない、と主張する。この議論が成立するためには、事務次官等会議が真に政策を決定する機関であることが必要であるが、結論から言えば、事務次官等会議もまた「形式的承認」機関であるに過ぎない*1。また、事務次官よりも大臣の方が当然えらいので、事務次官等会議の結論を閣議の場で否定することも、現制度の下であっても原理的には可能である。よって、民主党のいう改革を実施したところで、真に「政治主導」の政策立案ができるかというと、非常に疑問である、というかその目的は達成されない。それは、日本の政策立案システムが、基本的に「ボトムアップシステム」であるという点に由来する。
事務次官等会議と閣議の話をする前に、霞が関各省庁間の意見調整システムについて説明しておく必要があるだろう。意見調整システムといっても、これを詳細に検討すればはてなダイアリーブック数冊分になるので、ここでは「ある省で作成された法律案が法制局審査*2を経てから、それが閣議決定されるまで」について解説する*3
法律案は、衆参両院で可決されなければ法律にならない。そして国会に提出するためには、閣議で決定されなければならない。閣議決定は多数決ではなく全会一致によってなされるので、全大臣が「うん」といわなければならない。大臣というのはそれぞれ役所を従えているわけで、大臣が「うん」と言うことは役所が「うん」と言うのと同義。大臣は専門的事項に関しては素人なので(役所の膨大な所管事項すべてに専門家であることは、大臣のみならず、事務次官であっても不可能である)、原則、役所の事務方が色々検討をし、最終的に大臣にご了解いただく、という形で大臣の決定がなされる。というわけで、閣議で全大臣の同意を得るためには、「前もって」各省庁事務方がその内容に同意していなければならない。
さてここで、A省が作成した法律案に対し、B省がどうしても同意できないと考えているとしよう(法律案ができて法制局審査まで終わっている時点で、B省は下手をうったことになるのだが)。A省は、法律案について各省庁から同意を得るため、これを「各省協議」(または「合議」(ゴウギではなくアイギと読む))に掛ける。曰く「別添のとおり法律案を作成いたしましたので、ご意見がありましたら○月×日までに別紙様式に従いご提出ください。なお期限までにご提出なき場合、ご意見なしとさせていただきます」と(文言は一部簡略化。締切は各省協議文配布から原則5営業日後に設定される)。つまり、この期限までに意見がない場合はその省はこの法律案に同意したことになる、文句があればはよ言ってこい、ということだ。
ここでB省は思いの丈を様式に記入し、A省に投げ返す。その後、A省からB省に対し返答をする。A省は原案のとおり通したいわけだから、当然B省の申し入れを理由をつけて拒否する。これに対し再度B省は意見を送りつける。このやりとりを繰り返し、問題がこじれれば課長レベル、局長レベルで直接対話し、着地点が見つかったところで「打ち止め」になる。
これをA省は全省庁に対して行い(だから法案作成担当は死ぬほど忙しい)、全省庁の(消極的・積極的)同意を得たところで事務次官等会議、閣議に持って行くのである。よって、事務次官等会議にあがってきた時点で、すでに法律案は各省庁間調整が済んでおり、議論のしようがない(ウルトラCとして、事務次官等会議でひっくり返すという裏技を、例によって例のごとく通産省が過去にやったと聞いたことがあるが、真偽を含め詳細は知らない)。
「大臣の意見が反映されないじゃないか」と批判する向きもあろうが、高度に政治的な(つまり重大な)問題に関しては、法律案作成以前に、その実質的な内容に関し大臣も含め各省庁を巻き込んだ調整が行われるのが通例だし、法律案の中には技術的な問題を主に扱うものも多いので、いちいち大臣が出張ってくる必要のない場合も多い。
A省とB省の調整を、そんな事務方が水面下でごにゃごにゃやらないで閣議の場で議論すればいいじゃないか、という向きもあろう。しかし、繰り返すが大臣は専門家ではなく、たとえ坂口厚生労働大臣のように専門家(医者)であっても、厚生労働省の幅広い所管(労働安全、麻薬取締、職業安定、年金等々)のすべてについて専門家であることはあり得ない。閣議で議論といったって、時間もないことだし、事務方が用意したペーパーを読み上げて、後は事務方に詰めさせましょうということになるだけだ(全大臣が15年ぐらいその役所にいれば実質的議論もできようが、民主党政権下においてこのような超長期間在任させるという主張は聞いたことがないし、寄り合い所帯の民主党でそれができるとは思えない)。
このように見てくると、民主党の「事務次官等会議をなくし、脱官僚を」との主張が空論であることがわかるだろう。事務次官等会議をなくしたところで脱官僚が達成されるわけではないのだ。
こういう事態を当然民主党は知っている。岡田克也だって元官僚だし、その他官僚出身議員がたくさんいる。菅直人だって厚生大臣をやっていたんだから知っているだろう。しかしそれでもあえて前面に押し出し主張するということは、国民をだまくらかそうとしているということだ。政権取りの前には無意味な「脱官僚」を押しだし、まかり間違って政権を取ってしまった暁には事務次官等会議を廃止して「脱官僚」が達成されたかのように。しかし実質的な意思決定システムに変更がなければ、看板の書き換えに過ぎない。まるで民主党が看板の掛け替えと批判する特殊法人改革のように。
民主党が本気で脱官僚を図りたければ、もっと根本的に物事を考える必要があるのではないか。それこそ各省庁各局に「政治委員」として民主党員を貼り付けるとか(笑)。物事を突き詰めて考えていない感じが、私をして民主党に対する不信感を抱かせるのである。
(なお、各省協議については、法案の説明に来たA省担当者をB省の人間が十数人でつるし上げとか、意見に先立って「質問」を何百個も送る「紙爆弾」とか、恐ろしい風習が霞が関には存在するが、省略した。)

*1:いくつか留保しておくべき点があるが、この際省略。

*2:法律の内容・文言につき、内閣法制局においてあれこれ詰められること。キーワード「内閣法制局」も参照されたい。

*3:法律案作成以前にそれはそれは熾烈な駆け引きがあるのだが(例えば今回の知的財産戦略本部を巡る件)、それはまたの機会に。