魔都霞が関は古代バビロニアの夢を見るか?

おとといの攻殻SAC雑感につき、カイコウにてコメントをいただく(そういえば管理人さんはmof担さんなんですねw)。「霞が関は魔都」と。
そう。霞が関はいろんな意味で魔都である。風水的にどうなんだろうと思うぐらい。役所に入って、いや大学の時から、法律とか行政を担う官僚機構というのは古代バビロニアの神官と同じだな、と思っていた。彼の地の神官は、当時の行政官でもあるわけだが、自らの権益を守るため、やたら祭祀を複雑にし、「新規参入」できないようにしていたという。
私がそれを一番最初に感じたのは、大学で「憲法」の講義を受けたときだ。憲法9条をどう読めば自衛隊が合憲になるか。普通に読めば違憲に決まっている(いや、自衛隊を否定するものではないよ。むしろ改憲してしっかり規定すべき、とおもっている)。それをほとんど無理矢理論理をこねくりまわして合憲にしてしまうあの強引さ。論理の複雑さ。法律家は自らの既得権(法律の解釈権)を守るため解釈をややこしくしているに違いない、と思ったのだ(いや単に「お上」の有形無形の要請によってそうしている、つまり「お上」の下請けになっているだけかもしれないけど)。まぁその後知見を深めていくと強引な解釈もしょうがないなと思うようになってきたのだが。
霞が関の行政官も複雑にすることに長けている。法律しかり、日常業務の手続しかり、用語しかり。これは霞が関の住人にしか法律等をわからせないこと(情報の独占)によって既得権を維持しようとする意識的・無意識的な試みなのではないだろーか。


さて、ホントに古代バビロニアだったかどうか気になるが、とりあえず寝る。