違和感

記者ブログを運営する上での難しさがここにある。これまで紙の媒体上で言論活動する場合は、世間一般とは異なる見解を示すほうが評価が高かったりする。独自の視点を主張することに意義があったりするわけだ。

しかしブログ同士の議論では、世間一般の考えと異なる主張を展開するには徹底的な理論武装とエネルギーが必要になる。そうでなければ、この記者ブロガーのように反論と感情の雪崩現象に押しつぶされてしまうことになる。理論武装とエネルギーが必要なのは一般ブロガーも同じだが、意見を言い放しでも問題の生じなかった環境に慣れきった記者は、特に注意する必要があるのではなかろうか。

これ、すごい違和感。
言っていることは理解できる。人と同じことをやっていては評価されないのはどこの組織でもそうだろう。「独自の視点」「独自の施策」が正しいのか、効率的なのか、効果的なのか、全くわからないけど。ただ、「世間一般の考え」というのは、それがある程度正しいからこそ「一般化」している可能性は高い。
だからこそ奇をてらって内向きの「評価」向上を目指すのではなく、本質を見誤らず「実績」をあげることを目指すべきではある。
さて、このエントリの違和感は、ブログ同士の議論と紙の媒体(想定されているのは新聞だろう)の言論活動を、区別してしまっている点だ。ブログの議論には「徹底的な理論武装とエネルギーが必要」だが、新聞紙上ではそれが必要ないということなのか。
一般家庭で、一つの新聞しか購読していない世帯は少なくないだろう。その新聞が、「世間一般とは異なる見解」を示すことを第一に考えて、事の当否とか本質とかを無視し、理論武装もエネルギーもなくいい加減に書かれた記事が掲載されるとどうなるだろうか。新聞は、なんだかんだ言っても強い影響力を持つメディアだ。新聞に書いてあること(とNHKのニュース)は正しいと信じて疑わない人もまだまだ多い。そういう人にとっては、いい加減な記事であっても、それが正しくて世間一般は間違っている、あるいは世間一般がそう思っていると誤解する可能性は非常に高い。この誤解は、時に「まっとうなこと」をしようとする人、組織に対して深刻なダメージを与える。
じゃぁどうするか。組織内部での人事評価システム上、「同じ事をやっている人は評価されない」というのは当座どうにもならないような気がするので、ここは例によって情報の受け手が記事を批判的に読む能力を高めるしかないのだろう。
けど新聞の言うことを全部信じちゃう人にそんなこと言っても無駄だしなぁ。