復活折衝は茶番

ちゃばん 【茶番】

(1)茶の接待をする人。

(2)〔江戸時代、芝居の楽屋で茶番の下回りなどが始めたからという〕手近な物などを用いて行う滑稽な寸劇や話芸。

(3)底の割れたばかばかしい行為や物事。茶番劇。

「とんだ―だ」


もうすぐ12月。そろそろ事務的な折衝もまとまり、計数のとりまとめやら各種書類の修正に取りかかる時期(似たような内容の書類作成に忙殺される)。そして下旬には「復活折衝」が始まる。
8月末に概算要求をして、それから各省庁と財務省の間で延々と折衝が行われてきたわけだが、当然揉める。各省庁は「これだけ金くれよ!」と言い、財務は「いやこんなのいらんでしょ。削るよ。」と言う。この攻防戦を延々繰り返し、12月下旬に予算の財務原案が内示される。これは財務省が「これこれの金額でいいよね」と各省庁に伝えるもの(実際のところ、主査と各省庁会計担当課の間で握っているが*1)。
これを受け、「復活折衝」が行われる。局長やら次官やら、最終的には大臣が出張ってきて財務省のカウンターパートと折衝し、いくばくかの予算の「復活」を勝ち取って役所に帰ってくるのだ。クリスマス頃になると必ずテレビ・新聞で報道される。大臣が颯爽と財務省に入っていき、出てきたら「交渉の結果これこれの予算が復活いたしました」とか言うアレ。自分のところの課の施策が復活折衝ダマに選ばれてしまうと、死ねる。忙しくて。(参考:日経新聞サイト。下の方の「2004年度予算」の部分には、どの省庁で何が復活したのかについて触れられている。)
こうして、大臣のお力により重要な予算が復活し、晴れて財務原案は「政府案」となり、1月に国会に提出されることとなる。
しかし、この一連の復活折衝は、通常の日本語で評価するならば「茶番」という。なぜ茶番か。自治官僚であった片山善博鳥取県知事の言葉を引こう。

ですけれども、全体を見た場合に、やはり予算編成の中で政治の果たす機能というのはちゃんと作動していないと思います。その象徴的なものが、最終的に行われます大臣折衝というもので、もうあまり信じている人はいないと思いますが、表面上は大臣同士が真剣に議論をして、必要な予算を計上することにする、そういう結果になったということになっていますけれども、新聞もそういうふうに書いているところもありますけれども、あんなのは大臣同士で別にそのとき話し合って決めているわけでも何でもないので、役所の役人の人がおぜん立てをして、財務大臣と要求大臣との間のシナリオも全部書いて、応酬要領といって応酬するのに要領ができているのです。それによって応酬要領を読んで決着ということにするのですけれども、本当に茶番だと思います。

解説しよう。この際大臣折衝に限って言うが、何を大臣折衝の「タマ」にするか(例えば「しらせ」後継船建造事業)、いくら復活させるか、と言うことは、事前に財務省と各省庁の事務方の間で握られている。つまり、財務省が「この予算は認めません」と言って財務原案から外すことも、その予算を要求官庁の大臣が「復活要求」することも、その結果財務大臣が「復活」を認めることも、その復活の金額さえも、全て事前に役人の間で決めている。そして復活する金額分の予算も、財務原案の中にちゃんと別途積んである。そりゃそうだ。財務大臣が勝手にぽんぽん復活を認めたら、それだけ赤字国債が増えちゃうし。
なんでこんなややこしいことをやっているかというと、一説には「大臣に花を持たせる」ためと言われる。復活折衝で予算が復活すれば「大臣の手柄」だし、世間へのアピールになる。また、「役人ではなく政治がリーダーシップをとってやってますよ」ということのアピールのためでもある。だから、復活折衝ダマにはなるべく世間の耳目を引きそうな派手なものが選ばれる。
もちろん、本当に揉めに揉めまくって役人ではどうにもならなくて、政治決着する予算というのはある。しかし、大部分の「復活折衝」は茶番だ。
当然のことながら、このような茶番劇が嫌いな人もいる。

もう1つ私は印象的だったのは、梶山静六さんという政治家が自治大臣だったときに、私は大臣秘書官をやっていたのですけれども、そのときに大臣折衝に立ち会いましたけれども、当時の梶山大臣は、もうこんなばかばかしいことはやめようと言っていました。だから、大臣折衝になる項目として事務方は整理していたのですけれども、大臣自体は、もうこんなことは要らないから、大臣折衝なんかやめて、最初の主計官段階といいますか、事務方で全部片をつけておきなさいと言っていました。こう言ってましたけれども、やっぱり相変わらず大臣折衝に残すのです。1割カットして。事務方では9割の内示をしておいて、残りをつけるかどうかは大臣折衝だと。というか、大臣折衝でつけるのだというこういう整理をするのです。

そのとき梶山大臣は烈火のごとく怒りまして、「こういう人をばかにしたようなこと、政治家をばかにしたようなことはやめろ。私はもう大臣折衝に出ない」と言ってもたもたしたことがありましたけれども。最後は出られました。やっぱり閣僚として、個人だけの問題でない、しようがないから出るかというので出られましたけれども。

その後、当時の大蔵大臣と会って、大臣折衝を一応終わった格好にして出てきたときに、マスコミのかたに、「大臣、大臣折衝はいかがでしたか」と聞かれて、そのときの言葉が印象的だったのですけれども、「応酬要領に基づいて激しく応酬してきた、以上終わり」と、こう言っていましたけれども。

それが昭和63年度の予算編成作業でしたから、当時から心ある政治家は、そういうやり方はだめだということを言っていたのです。私などもそう思っていましたけれども、一向に変わっていませんね。

復活折衝の実態については、与党政治家・役人はもちろん、野党、霞が関・永田町付のマスコミも当然知っているはずだが、誰もほとんど何も言わない*2。誰も何も言わないので慣例として続いていく。こういう慣例が積もり積もって業務の肥大化を招いている。やめたいと思っていても、役人の側からは言い出せない。なんせ「大臣の活躍の場」を奪うことになるからだ。それに「政治のリーダーシップ」を演出することは役人にとってもメリットがある。また、ある大臣(例えば梶山自治相)がやめたいと思っても、他の大臣との並びの手前、やめられない。なぜなら、自分だけ「あんなの茶番だからやらない」と言うと、じゃあ復活折衝やってる他の大臣はどうなるの、ということになるから。結局のところこの茶番をやめようと思ったら、「政治のリーダーシップ」とやらで「えいやっ」とやめるしかない。ところが、復活折衝やめますなんていうと「政治での調整が減らされ、官僚主導が強まった」とか反射的に書いてしまうマスコミや野党がいる。だから与党の側もなかなか踏み切れない。
こうして、やっぱり残業が増えていく。国民のみなさまにおかれましては、とりあえずニヤニヤしながらテレビや新聞で復活折衝の模様を見ていただければ幸いである。


なお念のため言っておくと、予算編成過程では有形無形の政治の圧力が官邸や財務省始め各省庁にかかっている。役所の側も適時適切に先生方にお伺いを立てている。だから、復活折衝をなくしたところで現行予算編成過程における政治の役割が減るわけではない。しかしそれらの多くは水面下で(国民の目の届かないところで)行われるので、それがいいことかどうかは不明だ。
オープンな政治過程としては、国会での予算審議ってのもあるんだけどねぇ。

*1:「握る」は「取引を行い交渉を妥結させる」ぐらいの意味か。

*2:しかし例えば、この産経の記事は、「政治決着」とカギ括弧付きにすることで、政治決着であって政治決着でないというニュアンスを出していると言えるけど。<引用開始>日本の防衛力整備の基盤である新たな「防衛計画の大綱」をめぐり、折衝を続けている防衛庁財務省の調停案が二十四日、分かった。最大の焦点である陸上自衛隊の定員は、現大綱(十六万人)より一万人減の十五万人体制を軸に調整。主要装備では護衛艦が四十四隻、戦闘機は二百六十機が調整ラインとなっている。最終的には大臣折衝による「政治決着」に持ち込まれる見通しだ。<引用終了>