薔薇の館の学園紛争

ロサ・カニーナを見て。
そうだよな。生徒会の役員選挙があるんだから、つぼみが薔薇さまになれないこと、ねじれ現象が起きることは原理的にあり得る。
60年代末からの学園紛争時に、リリアンでもそのねじれ関係でごたごたがあったりしてな。


発端は1964年。65年生徒会役員選挙に向けての前哨戦の頃から、リリアンにきな臭いにおいが漂い始めた。そもそもの原因は運動部、文化部の部室獲得競争だったとも言われるが、実際のところ史料が散逸しているため不明である。しかし、戦後急速に力をつけてリリアンに入学してきた中産階級の子供たちと、旧来の上流階級の令嬢との構造的対立が存在していたのは間違いない。
日和見主義者の現白薔薇と縁を切り、前白薔薇の支援を得て山百合会を目指す白薔薇のつぼみ率いる白薔薇共産主義者同盟(白共同)事務局派と、熱狂的前白薔薇支持者による白共同革命的突撃隊の内ゲバ。現白薔薇を支持し、新たに白薔薇候補を擁立して権力維持を目指す急進的白薔薇支持者連合(急白連)による、現紅薔薇勢力に対する「白色テロル」。
紅薔薇勢力では、現紅薔薇とそのつぼみが率いる保守的な自由山百合会。現紅薔薇黄薔薇のつぼみの個人的確執に端を発する紅黄武力闘争に勝利した自由山百合会は、その団結の象徴たる紅旗をリリアン中にはためかせたという。紅旗なのに保守派であることに注意。1964年の第一次紅黄闘争の後、65年度と66年度の2年間は自由山百合会が三薔薇を独占した。しかし66年生徒会役員選挙時の「血の投票箱事件」は、リリアン在校生を大いに戦慄せしめ、そして反自由山百合会の機運を高めていくことになる。なおこの時期、花寺は伝説の生徒会長「R」(なぜかこの名しか記録に残っていない)の強力な中央集権体制により保守派が完全に掌握しており、花寺が自由山百合会を支援したこともその闘争勝利の一因であった。
敗れた黄薔薇・民主リリアントロツキスト連合(民ト連)は、自由山百合会への復讐と山百合会内での復権のため、リリアン女子大学学生自治会に介入を要請。しかしリリアン学生自治会は高校への不介入を宣言したため、大々的な反攻作戦は実施されず、これ以降黄薔薇勢力は地下に潜ることとなる。
「血の投票箱事件」に続く「青い桜並木事件」によって、多くの生徒の反自由山百合会の機運は決定的となる。民ト連先鋭行動派が扇動し各地で反自由山百合会サボタージュが行われ、また急白連が支配する文化部連合も各種学校行事での山百合会に対する協力を拒否。自由山百合会内部でも今後の活動方針を巡って議論が紛糾、66年度黄薔薇が自由山百合会からの脱退を宣言、白共同革命的突撃隊と行動を共にし始める。これに対し自由山百合会は生活指導委員会(SS)を拠点に白共同突撃隊及び急白連の殲滅を図る。もともと66年度黄薔薇を正統な黄薔薇と認定していない民ト連先鋭行動派は、そのテロの矛先を白共同突撃隊にも向けることになるが、民ト連主流派は密かに黄薔薇接触し始めるのであった。
この後、「紅い五月事件」「薔薇の館襲撃事件」「八月同盟の結成及び崩壊」「関東バスジャック未遂」「黒い三鷹駅事件」「図書館派の蜂起」「銀杏並木殲滅戦」「黄色いクリスマス」等々、大混乱の時代を迎える。
67年生徒会役員選挙後、一時は収束したかに見えた内紛だが、68年の東大安田講堂落城の評価を巡ってまた四分五裂。最終的には3派11流に分かれて闘争。68年12月の通称「討ち入り」のあとの伝説的な「手打ち」(68クリスマス休戦)により、一応の解決を見た。
ところが、かつての栄光を捨てきれない自由山百合会主流派は、密かにSSに結集。大学から幼稚舎までのリリアン内部に強力な諜報ネットワークを張り巡らせ、潜伏から10年後の79年、「違反制服大粛正」を皮切りに、生活指導という観点からリリアンに再び強大な影響力を及ぼすこととなる。各派の寄り合い所帯で、しかも「激動の60年代」をすっかり忘れた当時の山百合会はSSの暴走を食い止めることはできず、80年代はまさにリリアンの「暗黒時代」であった。
本来ならばSS支配の終わりを告げた「90年動乱」についても深く語らねばならないが、今はその余裕がない。結局運動部連合(右派)があの「90年動乱」を制しSSが強制解散させられたものの、それはSS構成員を地下に潜らせるだけであった。散発的に続くSS残党によるゲリラは、しかし、実際のところ運動部連合による山百合会の安定的覇権を脅かすものではなく、むしろ山百合会は敵対する諸勢力に「SS残党」の汚名を着せて抹殺する等の暴挙に出ている。彼女たちの手にかかれば、94年の「マリアさま像ナウシカ化事件」すらSS残党の仕業である!
世紀が変わってからのリリアンは、まるで50年前のそれのように落ち着いている。しかし、「八月同盟」結成にも参加せず、そのまま歴史の闇に消えていった白共同突撃隊が実は地下で脈々と勢力を維持し続けているという噂もあるし(96年の某重大事とかは突撃隊と手法が似通っているという研究もある)、98年の「毛虫の大粛正」で表向きほぼ根絶されたと思われたSS残党が、最近また活動を始めたとの説もある。運動部連合内の左右対立も相変わらずだ。
このような経緯は代々薔薇から薔薇のつぼみへ口伝されてきたが、いまのところ福沢祐巳には伝えられていないようだ。小笠原祥子は、この中流家庭出身のつぼみに真実を教えることをためらっている。できることならば祐巳を飛ばして、そのスールに伝えたいと願っているようだ。
そして、細川可南子が、80年代初頭の伝説的SS執行部隊長の娘であることは、まだ誰も知らない…


こんな感じ?
蓬莱学園の続きが読みたいけど、でないんだろうなぁ。