宮崎県の女子高生が総理に署名を提出した件。

これこれこれの続き。朝日新聞によれば日教組も抗議の声明を出したとか。

イラクからの自衛隊の撤退を求める高校生の署名付きの請願書をめぐり、小泉首相が「学校の先生もよく生徒さんに話さないとね」などと学校教育に注文をつけたことに関連し、日本教職員組合日教組)の榊原長一委員長は4日、「国会の場でも意見が分かれている問題について、政府の考え方を教育現場に押しつけることは間違いだ」とする抗議声明を出した。

 委員長は「(請願を)読むこともせずに学校で自衛隊派遣の意義を教えるべきだとする発言は、若者の純粋な思いからの行動に対して非常に失礼な対応だ」と指摘。「小泉首相は直ちに発言を撤回し、若者の行動に誠意をもって応えるべきだ」と述べている。 (02/04 22:48)

まず一つ断っておくならば、これは国会法に定める「請願」ではない。が、この場合それは問題ではないだろう。
あともう一つ断っておくならば、私の一連の見解は朝日新聞及び毎日新聞のweb版記事をもとにしており、当然総理が実際にどのようなニュアンスで、どのような言葉で語ったのかは知らない。
総理の発言が、「自衛隊派遣はいいことである、政府が決めたことであるので当然である。そのように生徒に教え込むべし」という意図のものであれば、それは行き過ぎだと思う。しかし、朝日新聞記事によるならば、総理の発言は以下のとおり。

「この世の中、善意の人間だけで成り立っているわけじゃない。なぜ警察官が必要か、なぜ軍隊が必要か。イラクの事情を説明して、国際政治、複雑だなぁという点を、先生がもっと生徒に教えるべきですね」

これは自衛隊派遣の意義云々というよりも、なぜ自衛隊派遣が検討課題になるのか、その背景となるイラクにまつわる歴史や国際情勢はどういうものなのか、そういうことを教育していく必要がある、と述べたものだろう。イラクの現在を知るためには当然歴史を知らなければならず、そうなると当然メソポタミア文明から第二次世界大戦以前の植民地支配、戦後の独立の過程等を勉強しなければならない。国際情勢はそれらの歴史の集大成だ。イデオロギーもその範疇に入るだろう。石油にまつわるいろいろなことも勉強する必要があるだろう。自衛隊について考えるためには、少なくとも明治以降軍隊が日本社会・政治においてどのような位置づけだったのか、なぜ日本国憲法は「戦力を放棄」したのか、にもかかわらずなぜ警察予備隊が作られたのか、その後保安隊、自衛隊となって現在に至る過程の中で自衛隊はどのように考えられてきたのか、それらを知らなければ始まらない。その上で、生徒が自衛隊イラク派遣に反対する意見を持つことまでは否定していない。しかし、上記のような予備知識がなければ、議論のしようがない。
そもそも請願書には何が書いてあったのか。実物がネット上で見つからなかったので、代わりに日本共産党webサイトに掲載されていた「趣旨」を引用する。

「テロに反撃することがテロに屈しないことなのでしょうか。武力で対抗するのではなく…平和的解決こそイラクの国民を救うのに必要なことであり、小さな事でもめげずに復興を支援することこそテロに屈しないことなのではないでしょうか。私たちは憲法九条に誇りを持ち、暴力の連鎖を断ち切るため、平和的解決を願います」

また、共同通信の記事によると以下のような文言もあるようだ。

自衛隊や軍隊では問題は解決しない。血を流さない平和的解決こそがイラク国民に必要」と指摘、小泉首相に「各国軍隊の撤退を呼び掛けて、これ以上イラク国民を傷つけないよう勇気ある行動をとってください」

< 社会 > 高3女子が署名5000人収集 武力使わぬイラク復興願い"

ご趣旨ごもっとも。ごもっともだがその方法論は国際社会では通用しない。平和ボケの日本だからできる主張だ。いま米軍が撤退したらさらに多くの血が流れるぞ。そんな非現実的なことを言っていないで勉強しましょうね、と総理は言っているのだ。高校生でちょっと政治意識のある人間なら普通反政府・反権力的になるもんだし。
「請願書も見ずそんな発言をするとはけしからん」という人がいる。まぁそういう人は総理が「いや見ていませんからコメントできません」とでも言おうものなら「木で鼻をくくったような対応」と批判しそうな気がするが、それは私の偏見。だいたいすべての請願の類を総理が見るわけがないでしょうが。忙しいんだから。「女子高生が一生懸命集めて大変だったんだから見るべし」という論が通るならば、その内容にかかわらず「日々忙しい労働者が一生懸命書いた請願書だから見るべし」とか「一市民が生活者の立場から率直な意見を述べたので見るべし」だって通っちゃうよ。こういうものは「大変な労力がかかった」とか「すんごい真摯な気持ちがこもっている」なんてことは問題じゃない。内容が検討に値するか否か、それだけだ(が、そういう「気持ち」を無視したとなれば、当然請願者に悪感情をひきおこすことになるので、得票が減るという意味で政治的に問題があるけど)。
そもそも請願書自体はその日に内閣府に届けられたんだから、物理的に総理インタビューまでに届きようがない。受け取った内閣府の担当官が「これこれこういう請願がありました」とでも報告書をまとめて、それを順繰りに上げていく。そして普通の役人なら「こんなものをくそ忙しい官邸に上げるわけにはいかない」と思うだろう。本当に総理に見せたければ、内閣府の担当官なんか通さずに共産党の志位委員長が万難を排して直接総理に届ければいいじゃないか。ある人間に自分の意見を伝えること、それ自体が「政治」だ。
総理発言を批判する人は何を期待していたのだろう。「お気持ちを真摯に受け止め、今後の政府の方針を慎重に検討してまいります」てな感じの官僚答弁が欲しかったのだろうか。それこそ真摯じゃない。口先だけだ。だってそもそも請願書自体を見てないんだもの。
本件で総理が批判されるべき点があるとすれば、二点。一つは学校教育に対する過度な介入と捉えられかねない発言であった、と受け取られたこと(私は過度な介入とは思わないが)。二つ目は「内容も見ないでけしからん」との反応を一部に招いたこと。ただ後者は総理の人気がちょっと、ほんのちょっと下がったかなということであって、行政の長たる総理の立場からすれば問題ない。純粋に政治的・選挙向けの話だ(これにしても一部の人間は「総理よく言った」と反応するわけだから、トントンか)。
今村渉さんはこの件で傷ついたかもしれない。総理なんて信用できないと思ったかもしれない。しかしそれが社会であり、政治だ。「がんばりましたねー」と恩情をかけてもらいたいだけなら結構。しかし、彼女にはこの件をバネにして、大学で、必要ならば大学院でさらに社会に出てからもぜひ勉強を続けてほしい。そしてそれでも政府の方針が間違っていると信じるならば、さらに声を上げ続けてほしい。なんなら政治の場に入って自分の考えを国政に反映させるようがんばるのも手だろう。
というわけで、わたくしid:kanryoは、今村渉さんを応援しています(VNI風)。
(追記)

首相は「客観的判断ができる材料を提供し、生徒間で議論するのはいいことだ」としたうえで、「日教組の中には、憲法違反だと言ってデモをしている人もいる」と日教組を名指しで批判した。

いいぞ、もっとやれ。