少年非行とマスメディアと漠然とした不安

*人を不安にさせるような悲観的情報が広く流布し,多くの人に受け入れられるのは,すでに前もって人々のあいだに,漫然とした不安が広がっている時である。
*非行が増え,悪質化しているという情報は,↑の不安と協和的であり,それを正当化」あるいは明確に表現してくれているのがマスコミ。
*私たちの「非行」に対する危機意識の背後にある「漫然とした不安」とはいかなるものなのか。(非行問題は,第一,第二のピーク時においては今日のように深刻な世論の高まりを起こさなかった。)

*少年非行は,多くの社会問題の1つとしてではなく,私たちが,潜在的に共有している社会不安の象徴としての意味作用を帯びている。
*「少年非行」という概念を生み出したのは,近代の子ども観である。 
*近代社会において,「子どもの世界」は「おとなの世界」に対置されてつねに「汚れなき世界」「無限の可能性を持った未来」という象徴的な意味を担っている。
*成人犯罪が「汚れた大人の世界」の徴表として現在の規範的秩序に対する否定であるのに対して,少年非行は現存の秩序に対する否定としてばかりでなく,未来の規範的秩序を担う「汚れなき子どもの世界」に対する否定として,象徴的な二重の否定的意味作用を帯びる。
*↑が非行問題への深刻な関心の「一般化」を生み出す。少年非行のとりわけ「低年齢化」という表現の深層にひそむ社会の象徴的論理に他ならない。
*しかし,成人犯罪の減少はいかなる意味を持つのか?