オープンソース的世界観

政治・行政にも通じるものがあろう。

そして、Linusはこれが世界一うまいのです。彼はおそらく全部のパッチを自分で見てません。機能別に、Russellさんを含む腹心の部下がいて、その人の判断で決めている所もたくさんあると思われます。「こういうパッチでこいつがOK出せば大丈夫」そういうノウハウをフルに活用している。そうやって、本当に自分が考えるべき問題を絞りこんでいると思います。そういうプライオリティの決め方、権限委譲の仕方が天才的にうまいのだと思います。

なぜ、そう断言できるかと言うと、もし、Linusがその判断を間違えていたら、他の人がやってしまうからです。Linusに送られてくる情報(パッチとそれに対するサブリーダクラスの開発者のコメント)はほとんど全てが公開されています。誰かが「Linusは間違っている、俺の方が正しい判断ができる」と思ったら、その人が自分でやってしまえます。自分で、Linusと違うパッチのセットを選んで違うカーネルを作れるんです。だから「競争」なのです。

つまり、Linusは24時間365日、常に、暗黙のチャレンジャーを受けいれているわけです。いつ何どき、この作業をLinusよりもっとうまくこなす天才が出てこないとも限らない。それを一切、Linusは制限していません。GPLでリリースするとは、そういうことです。「この俺に挑戦する命知らずがいるとはな。さっさとかかってこいや」と各ソースの頭に書いてあるようなもんです。

言うまでもなく政治は利害対立の場であり、利害調整の場である。そして挑戦権は誰にでも開かれている(腕っ節一本で、とは行かないけれど)。国会という場も(程度問題はあれ)オープンである。世界中から提案されるパッチがそれぞれの関心に従い、それぞれが「よりよいLinux」を目指して作成・提案するのだろうが、政治も同じだ。