官僚的作文技術

久しぶりに「官僚」キーワードをたどっていろんな日記を見てみた。大半が官僚批判で、少し悲しくなったが、id:flores:20031112#p3にて面白いものを見つけた。

文書に書き、しかも内容を曖昧にするには、かなりの高等技術を要する。官庁作文技術の真髄は、実はこの点に存ずるのである。重大事件が発生したときの対応を例として、この技術のエッセンスをまとめると、つぎのようになる。

1.まだ報告を受けていない

2.事実だとすれば大変だ

3.早速調べて

4.善処する

野口悠紀雄、続「超」整理法ISBN:4121012224

さすが野口先生、よく分かっていらっしゃる。
官僚は、とにかく言質を与えるのを嫌う。何か確定的に言うと、たとえ事情変更等があってそのことをやらない方がいい状況になったときでも、やらなければならなくなる(やらないと「最初の判断は間違っていたんだな」と批判され、責任を取らされる。事情変更の理解を得るのは大変困難な仕事である。これは野党社会党が政府を批判することだけを糧に国民の支持を得てきたことによる弊害と言っていいのではないか)。国会議事録検索システムで政府の答弁を見るといい。見事に上記官僚的作文技術を見ることができるだろう。
なぜこうなるのか。まぁ一般的な保身目的といえないこともないが、例えばその重大事件に対して真に役所として対応を取らなければならず、かつその対応には予算が必要だとしよう。普通の予算は9月から12月にかけての財務省への要求プロセスを経て政府案が作成され、それが1月から3月にかけて国会で審議され、可決されて使えるようになる。原則「この事業をやるからこれだけの金が必要」というロジックで予算要求しているので、それ以外の事業に使おうとすると色々面倒なことが起きる。どこかの予算を削って対策に回すわけだから省内ではまず局内で調整し、大臣官房の会計担当課に了承を得、そのあと財務省主計局の主査のところに御説明に伺って、すべての関係者の了承を得てからでないと対策を打てない。これらの調整プロセスをすっ飛ばして国会等の場で「この対策をやります」とは言えないのである。
当然その調整プロセスにはある程度時間がかかる。根回しであるので、いろいろなところをすっ飛ばして「これやります」なんていえば色々へそを曲げる人も出てきて、やれるものもやれなくなってしまう(サラリーマン諸氏にはご理解いただけるところだと思うが)。これらの調整を円滑に進めるためには、まず初動で言質を与えるわけにはいかないのである。