漫画における戦争表現の減少

宮台氏のblog(アレをblogと呼べれば、だけど。彼のblog論ってあるのかしら。探してないけど。)を読み、このサイトを見、思考回路が紆余曲折したあとちょっと疑問に思ったことがある。
漫画における太平洋戦争、あるいは戦後復興描写の現象が、子供の成長に何らかの影響を与えてはいまいか?(それが悪影響かどうかはわからんけど)
もちろん私も20代だから太平洋戦争は当然知らないが、それでも祖母からくどいぐらい戦争の話を聞かされた(ばあちゃんの話をテープにとって、それを起こしたら映画の脚本が作れるんじゃないかと思ったこともある)。核家族ではなかなかないかもしれないけど、それでもドラえもんではしばしば戦争の話が出てきたし、こち亀では戦後の話が出てくる。
上記サイトによればのび太の父は戦争経験者であるし、こち亀も、例えば大原部長なんかはもしかしたら従軍経験があるんじゃないか。両方とも「漫画のキャラクターが年を取らない法則」によって、つまりは年々誕生年が繰り下がってきているわけで、いまの大原部長は逆立ちしても戦争経験者ではあり得ないし、今の両さんは昭和20年代30年代に少年時代を過ごしていない。もっとも最近こち亀を読んでいないので、恒例の両さんの少年時代の話があるかどうか分からないけど。
つまり、今の時代を相対化して見る目が失われているんじゃないか、と思うわけです。戦争があり、戦後復興があり、55年体制があり、高度成長があり、オリンピックがあり、万博があり、低成長があり、バブルがあり、バブルが弾け、自民党が下野し、自社の歴史的野合があり、不況が続き、今がある(戦争の前だってあるけど)。そんな時代を自分の父母や、祖父母や、曾祖父母が生きてきた。西新宿にあんな高層ビル群が建ったのは実はつい最近のことであって、あるいは臨海副都心なんてなかったんだ。今の時代を相対化できないから、世の中が「発展する」ということが分からないし、だから未来を描けないんじゃないか。そう思うのです。
そんなもの歴史の時間に習うだろう、というのはもっともな話だけど、しかし学校で勉強するよりも漫画で読む方が実はリアルなんじゃないだろうか(歴史の知識があった上で読んだ方がもちろんいいんだけど)。漫画というのは小学生ぐらいの子供にとっては一番近いメディアだろうし。それに「歴史で習う」というよりも「気づく」ことが重要なんじゃないかとおもったり。
戦争の話が語られなくなるというのはしょうがなくて、つまりは語ることのできる年代の人々がだんだん亡くなっているからで、そういうことの影響がじわじわと何らかの形で効いてきているんじゃないかなぁ、と思ったのでした。
あ。クレヨンしんちゃんが万博やってたなぁ。
うーむ、読み直してみると私は開発至上主義者みたいだなぁw


(追記)上記サイトのうち、http://www4japan.com/~mor/dora/dora/dfile07.htmlこれは、たぶん不況とかそういう問題以前に、インフレだからだと思う。インフレなんて今じゃ想像できないけどなぁ。