榊東行「三本の矢」(上・下)(早川書房、1998年)

今週はこれを再読。この小説は、サスペンス(ミステリー?)小説としても、官僚小説としても、経済小説としても、かなり面白く、読み応えがある。
大蔵大臣の答弁が何者かに差し替えられ、それによって引き起こされた失言によって、日本の金融システムは未曾有の混乱に陥る。「動銀(旧日債銀がモデル)の経営は危機的レベルにある」……この失言により、動銀のみならず全国の経営が危ないと言われる銀行に取り付け騒ぎが波及。株式市場や為替市場も混乱、ついに動銀や地方銀行の倒産が始まるが、しかし大蔵省内では未だ対案の議論が続いていた…。いったい誰が差し替えたのか?何を目的に?あるべき金融システムとは何か、それを巡る銀行局、主計局、与党の思惑。様々な想いが交錯する中、謎解きは一人の課長補佐に託された。
とまぁそんな話である。作者は当時の大蔵省の課長補佐とも通産省の補佐とも言われている。大蔵省内の描写が微妙におかしいので大蔵の補佐ではないとの説もあるが、そこはカモフラージュかも知れない。
この小説は、前述のようにサスペンス小説としても秀逸である。小難しい政治過程論や経済学の知識を、うまく文脈にとけ込ませ、意識させない。本筋として「犯人は誰か」という明確なターゲットが定められているため、読者も安心してそれを念頭に読み進められる。
本件は官僚入門小説としてもおすすめである。これから官僚になろうという人には特にお勧め(入省して仕事になれてからもう一度読むと感慨もひとしお)。銀行局銀行課の一年生、安田君がいい味を出している。安田君を通じて、読者は国会答弁や、省内意思決定のシステムを知る。貴重なナビゲーターとなる。
最後の最後、犯人探しの決定打となる「犯人のミス」は、殺人事件を扱う通常のミステリ小説とは違ってある意味しょぼいが、意外性に富んでいて面白い。政治・経済に興味がない人にはちょっと退屈かもしれないが、関心がある方には一読をおすすめする。
最後に。amazonのうち、「残念でした!」と題する「カスタマー」氏の書評には同意しかねる。まず根元的に、あとから得た知識でもって書評をするというのはどうかと思うが、まぁそれはおいておくとしても、たしかに預金流出によって銀行が債務超過に陥ることはないが、それはこの物語の本筋ではなく、枝葉末節の部類である(後段は全部そう)。前段の「残念なのはおそらくこの小説では某銀行の破綻を前提に書かれていると思うのだけれど、われわれは北海道拓殖銀行が破綻したのにもかかわらず、この小説で描かれているようなパニックは起こらなかったことをすでに知っているのである。」と、この物語の「残念さ」を語るが、説得力に欠ける。現実に銀行の経営が破綻しても大パニックにならなかったのは、一つには破綻と同時に大蔵省(財務省)が対策を発表してきたから、二つ目には取り付けが起こってもマスコミが報道しなかったからである(実際木津信や山一破綻の際には取り付け騒ぎに近いことが起こっていたそうな)。両方の要因に関し、小説ではなぜ金融パニックになったかを論理的に裏付けている。これを見逃すようでは、書評とは言えない。というわけで私は「参考にならない」とクリックしたわけである。