国家公務員の給料の話、続き。

  • floresさんへの返信を兼ねて

あー、こういう反応、やっぱり来ましたか。公務員の成果ってなんなんでしょう。はっきりいってどういう計り方をすれば成果主義になるのか、さっぱり私には理解できません(窓口業務などは分からないでもないですが…)。強いていえば、ある特定の政策目標が達成されれば成果が上がった、ということになるでしょうが、さて、まず「特定の政策目標」は設定はどうしますか?本来政治が決めるべきものでは?評価基準は?
例えば日本道路公団をどうすれば成果ですか?政治が道路公団を民営化すると決めたとして、民営化作業を順調に行ったらそれは成果ですか?国民は成果として認めてくれますか?先の臨時国会で、多くの特殊法人独立行政法人にする法律が成立しました。これは成果ですか?
ある道路を、様々な工夫により、予想よりも安く作ることができました。これは成果になりますか?ちょっと見れば成果に映るでしょう。しかし詳細な分析と、評価の裏の価値判断に注目する必要があります。もしこれが、結果的に建設作業員の単位労働あたりの給料を下げて達成されたものだとしたら。共産党社民党民主党は反発するかもしれません。また、工費が安かったので、波及効果も少なかった、という批判を受けるかもしれません。
公務員制度改革が言われますが、その中でも成果主義の要素が入っているようです。しかし私にはなじめない。
コスト意識、というのは成果に比してのコストパフォーマンス向上意識、のことだと思いますが、成果が計れなければコストパフォーマンスが計れません(もっと細かい、例えばミスコピーの裏を使わないとか、結構夜も電気つきっぱなしだとか、そういう点のコスト意識の欠如はご指摘のとおり)。
内閣(政権与党)が判断すればいいのかも。それが本来の姿か。与党の価値判断に合わせて役人を評価する。与党的価値が高い人が出世し、低い人が辞めていく。そして党はその価値判断を国民に問う。これならすっきり理解できる気がします。
あ、あと他の東大生より給料が低いってのはひがみです(笑)。気にしないでください。
自分自身の哲学ですが、実は揺れ動きまくっているところがあるので、あえて書きません。

さて、本件に関してはエリサラ(笑)さんから心強いお言葉をいただいた。ありがとうございます。まぁ給料の話というのはとにかく誰でも関心があることなので、色々な議論が惹起されることはいいことではないかと(と優等生ぶってみる)。
官僚と東大法学部の関係についてもいずれ書こう。
また、id:mitty:20030724さんとこでも採り上げていただいた。そっか、hostage理論というのか。大学の時労働経済か何かの講義で聴いたような覚えがあるので、たぶんそのときに昨日の日記の知識も得たのだろう。しかし、給与=労働生産性の社会だと、若い人の新人教育はどこが受け持つことになるのだろう。圧倒的に労働生産性の低い人間に、社会性をたたき込む作業。あるいは当該業種の基本をたたき込む作業。そういうことは大学や専門学校が担うべきなのだろうか。