踊る大捜査線 THE MOVIE2

第一回鑑賞。場所は日比谷スカラ座。得点は100点満点で40点。これはかなり評価していると考えていただきたい。


まず、全体の枠組みから考えて50点が上限となった。踊る大捜査線シリーズはそもそも、既存の刑事ドラマ(代表格は「太陽にほえろ」)のアンチテーゼとして描かれていたはず。すなわち犯人追跡や逮捕のアクションを徒に追及せず、刑事たちをニックネームで呼ばず(スーパーマンの排除、サラリーマン性の強調)、本庁(本店)と所轄(支店)の、キャリアとノンキャリアの確執を中心に人間ドラマを組み立てていく。その結果、放映当時の刑事ドラマとしては異例の作品となった(もちろん同様のアプローチをとった機動警察パトレイバーという作品は存在したが。ま、あれは刑事ドラマじゃないけど)。
ところが、である。とうとう本作品は従来の枠を越えてしまった。典型的に現れたのが最後のレインボーブリッジのシーン、SATの登場である。室井さんが「各人の判断で動け、報告はせよ。責任は私がとる」的なことを言ったあと、湾岸署や特捜本部の面々はそれぞれ各人の判断で動くのだが、SATの隊長も「独断で出動した」という。しかし、SATはおそらくは警視庁の警備部の所属であって、刑事部の特捜本部長たる室井さんの指揮下にない(これ、間違っていたらご指摘願います。警察関係者の方々)。つまり室井さんが「責任を取れる」範疇の人間ではないのだ。
室井さんの「責任は私がとる」の範疇はSATには及ばない。特捜本部や湾岸署の連中が好き勝手できたのは、リーダーたる室井さんが「勝手にやってよし」という「指示」を出したからである。であるからして、青島の行動の身勝手さと、SAT隊長の行動の身勝手さは全く異なる次元にあり、SAT隊長の行動は「組織としてあるまじき行動」である。青島の行動は、室井さんの指揮下にあっての行動なので「組織としてあるまじき行動」にはならず、問われるべきは室井さんの指示の妥当性である。
さて、踊る大捜査線は「スーパーマンを出さない」という方針の元に物語が展開されていたことは既に述べた。だがここに、スーパーマンを登場させてしまった。すなわちSATの隊長である。SATの隊長は、なんの権限もなく、上からの命令もなく、運用に莫大な手間と費用がかかるヘリや装甲車、隊員たちを動員して、自分の「独断」を通したのだ。いや待て青島だってテレビシリーズなどで好き勝手に動いていただろう、との指摘もあるかもしれない。しかし、その青島の独断専行は、せいぜい自分で勝手に聞き込みをするとか、ミニパトを拝借するとか、そういったある意味細かいことだった。しかし「SAT」の「隊長」が、配下の部隊を、大量の装備とともに、「独断」で行動させることは重大である。たとえば、彼の独断での行動中、他にSATの出動が必要な事件が起きたらどうするつもりだったのか。たとえば成田空港でハイジャックが起きたら。成田の事件とは言え警視庁のSATが出るとして、レインボーブリッジから隊員を撤収し、基地に戻ってヘリと車両の給油をし、装備を点検し銃弾を補充し(ってまて、あの隊長はよく考えたら銃器を無断で持ち出したのか?とんでもない話だ)、そして成田まで出動である。これを、基地から素直に成田まで行くのと比べると、レスポンスタイムは何時間の単位で違ってしまう。その何時間差で、重大な事態が起きたら。誰が責任をとるのか?
室井や青島は、今までのシリーズを通して、組織と人との間で生じる軋轢の中、それを何とか回避しつつ、効果的な、血の通った捜査をしようと尽力してきた。それがこのシリーズの柱であった。厳然と存在する組織、立ち向かうにはあまりに無力な室井と青島、その二人の友情。しかし、今回の映画では、SATの独断専行によってこの構図が崩れた。スーパーマンがいれば、室井と青島の葛藤など「どうでもいいはなし」になってしまうのである。何せ、スーパーマンが出てきて事件を解決してくれれば、室井も青島も組織だ人間だと悩まなくてもいいからである。
さらに。最終的にレインボーブリッジの封鎖はSATによる実力行使の形で行われる。これも今までの踊る大捜査線と違うところ。たとえばテレビ版最終話において、真下を撃った犯人の手がかりを得るべく、室井と青島は公判中の爆弾犯に面会に行く。しかし公判中の犯人とは(おそらく刑事訴訟法の規定によって)会えない。このとき両名がどのような行動をとったか。青島は、渋る拘置所の担当官に、担当判事(だか検事)だかに電話をかけさせ、その電話が繋がったと思ったら電話を奪い取り、そして担当官に見えないように電話を切り、あたかも担当判事から超法規的な許可を取ったかのように電話口でしゃべり(室井も荷担し)、そして面会にこぎ着けている。つまり、正面から既存の組織(権威、権力、手続きetc)を打破するのではなく、あくまで表面上それに乗っかった形で物事を進めていた。
ところが、SATの実力行使は身も蓋もない。別に国土交通省や首都高公団をだまくらかしたわけでもなく、単に暴力によってふさいだだけである。いままでの踊る大捜査線スタイルなどどこへやら、という話だ。
この映画は、踊る大捜査線というモノを根元から破壊してしまった。というわけで、50点以上は与えないという判断に至った。もちろん0点という線もないではないが、娯楽映画としては十分楽しかったので、そこまでは行かない。


悪い点ばかり書き連ねる。いいところというのは忘れてしまうのだ。DVDが出たらもう一度みて、いいところを探そう。
次にサブタイトルの「レインボーブリッジを封鎖せよ!」について。リーフレットや映画冒頭等でも「臨海副都心に至るルートは6つ云々」言っていて、ああこの作品では台場が孤立するのだな、と思ったら、なんと孤立させるのは犯人の策略によるものではなくて警察自身で封鎖するという話だった。減点。そんなことじゃサブタイトルにする価値ないよ。サブタイトルにそんな表現を持ってくるからには、当然犯人グループが何らかの手を使って台場を孤立させ、孤立無援の中湾岸署の面々と特捜本部の人間が総力を挙げて犯人を逮捕する、という筋書きだと思ったのに。
さらに。当初、国土交通省や東京都、首都高公団等との調整がつかずレインボーブリッジが封鎖できないのだが(検問ならばいつでもできるんじゃないの、というつっこみはしないのが大人なのだろう)、しかしそれらの関係部署等との調整が住んでいないのなら、なぜ東京港トンネルや第二航路トンネル、ゆりかもめりんかい線は封鎖できたのか。状況は同様であり、レインボーブリッジだけ封鎖できないのはおかしい。
さらに。地図に載っていない湾岸から外への道、ということで「蒲田トンネル」が登場したが、この辺のやりかたってのは丸々機動警察パトレイバーのマンガ版のパクリ。最終エピソード、特車二課のある埋め立て地を孤立させたシャフトの面々が逃げるのに使ったのが、工事用の海底トンネル。見ていて恥ずかしくなってきた。しかも犯人、なぜか蒲田に逃げずに台場に戻って来ちゃってるし。なんだそりゃ。ありえねぇ。
あと、「本庁と所轄の軋轢」、「捜査が混乱、所轄の人間が刺されたり撃たれたりする」、「青島怒る」、「室井登場」って流れはもうマンネリ。もうちょっと考えてよ。
というわけで、さらに10点減点。それでも40点残っているのは、それなりに面白かったと思ったから(何が面白かったか思い出せないが、見た直後に40点と思っていたので、たぶん面白かったのだろう)。泣けたし。和久さんのせりふがいちいち泣けるんだよー。副総監との会話もそうだし、最後の和久・室井・青島のシーンもそうだし。前売りで、しかもペアチケットだったので1200円。ま、その価値はあったか。ちなみに「この映画は踊る大捜査線として正しいか否か」というところで既に50点減点になっているので、その中でさらに40点ということは、つまりは映画としては80点の出来、ということです。それなりに評価しています。はい。
ま、ちょっと残念であることは否めない。期待していただけに……。


P.S. よかった点。神田署長の不倫騒動、お相手が彼女とは!ショック!なんであんな親父がいいんだ…。さらに寿司屋の親父の連行シーン。というように、小ネタはさえてたような気がする。あと昔から出ている交通違反常習の赤い服親父や、スリ。一回しか見ていないので拾いきってないとは思うが…