イラク派遣部隊には行政官はおらんのか?

自衛隊が駐留するイラク南部のサマワで、イスラム教の犠牲祭にちなんで自衛隊が地域の部族長に贈ったヒツジが、別の部族長の反発を呼んでいる。自衛隊は工事中の宿営地を所有する部族の総族長にヒツジ10匹を贈った。ところが同じ部族の別の有力族長が「なぜ、私にはないのか」と強い不満を表明。サマワ周辺は部族が強い影響力を持つだけに対応の難しさの一端を示している。

あーやっちゃった。っていうかこの「羊進呈」企画したの誰だ?外務省?防衛庁?まさか派遣部隊の独断?
まともな役人なら、政策対象を差別的に扱うことがどんな結果をもたらすかわかるだろう。差別的取り扱いは反発を招く。だから例えばある企業・団体に有利な取り扱いをする場合には、なぜ当該企業・団体が有利に扱われる政策的必然性があるのか、それを徹底的に、論理的に説明しなければならない。今回、そのような検討を行ったのか?
あー、外務省にしても防衛庁にしても民間向け政策をやってないから、そこまで頭が回らなかったのか?だとしたら大バカものです。初任行政研修からやり直せ。

サイレント・マジョリティーについて

どうも最近「サイレント・マジョリティー」という言葉の使い方に違和感を覚える。
私が理解する「サイレント・マジョリティー」とは、「もの言わぬ多数派」。英語圏でどのように使われているか知らないが、日本における「サイレント・マジョリティー」とは、そもそも60年安保の際、時の首相岸信介が言った「声なき声」のことだろう。国会・官邸を取り囲む数十万のデモ隊、マスコミの攻撃。この中で発言された「声なき声」とは、表だって発言・行動しないまでも、岸信介及び安保条約改定を支持してくれる人という意味であって、極めて政治的なシンボル操作である。
ところがどうも「サイレント・マジョリティー」を「声がない人が多数派を占めている」という状況に対して用いる人がいるようだ。例えば先の第一回はてなダイアリー評議会において、投票しなかった人が大多数であったことから、「サイレント・マジョリティーを無視している」と批判するひとがいる。本来の意味に立ち返って考えるならば、そのように批判する人は、キーワード「ボイン」の削除を主張する立場から、投票結果に対して文句を言っているということになるはずだ。投票結果では少数派だったけど、本当はみんな支持しているのですよ、と。しかしそういう主張には見えない文脈で「サイレント・マジョリティー」という用語が使われている場合がある。
この前の大阪府知事選にしてもそう。投票率が50%を切ったことそれ自体を指して「サイレント・マジョリティー」云々するのはおかしいと思う。
サイレント・マジョリティー」は自分の立場を向上させたい少数派が使う政治的用語だ。府知事選や評議会で「サイレント」である人々が「マジョリティ」であることは確かだが、その「マジョリティ」がどのような意見を持っているかなど理解しようがない。なんせ「サイレント」なんだから。
この理解って間違ってますか?

宮崎の女子高生の請願書について・さらに続く。

私は、この手の署名活動というものをしたことがない。だからこういうことが普通なのかどうか判断できない。しかし。
署名用紙。そして請願書。おいおい、内容増えてるぞ(笑)。昨日私は「ご趣旨ごもっとも」と書いたが、署名用紙には「趣旨」しかないじゃない。ということはアレだな、署名に賛同した5000人は、その趣旨のみに賛同したわけであって、今村さんが思い描く方法論に賛同したわけではないのだな。
こういう署名活動って、趣旨しか載せずに賛同を求めるのが普通なのかな?私だったらこういう風にだまし討ち的に勝手に請願書に変なこと付け加えられたら怒るけどな。
内容については何も言うまい。しかし劣化ウラン弾まで請願内容に入っている。というわけでid:lovelovedogさんにリファを飛ばしてみる。