法令における上位・下位の概念について

id:mitty:20031229さんとこのコメント欄の議論。
いわゆる法令については上下関係があって、日本では憲法が最強であり、法律は憲法に違反してはなりません(ちょっと条約との関係はアレなので触れませんが)。法律の下には「政令」、さらにその下には「省令」というのがあって、それぞれの上位規範に「違反」することはできません。
ただ、コメント欄でid:jounoさんが指摘されているとおり、「名詞限定」「例外規定」はこの場合、法律のアナロジーをもってしても、上下関係にはありません。なぜなら両方とも同じ「はてなのヘルプ」という規範によって定められているからです。というかむしろ「例外規定」の方が上になります。上にしておかないと、例外規定を作った意味がない。
有名な「失火責任法」というのがあります。

明治三十二年法律第四十号(失火ノ責任ニ関スル法律

(明治三十二年三月八日法律第四十号)

民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス

これだけ。短い。
んで、その民法709条というのが何かというならば、

第七百九条  故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

これがかの有名な「不法行為」ってやつです。簡単に言えば「ジャイアンが打ったホームランで空き地の隣のカミナリ親父の家のガラスを割った場合、弁償しなければならない(カミナリ親父はジャイアン(の保護者)に損害賠償請求できる)」ちゅうことですな。
この「不法行為」の原則に対する例外規定が「失火責任法」なのです。日本は木造家屋が密集しており、火事が延焼しやすいので、不法行為の原則に従って損害賠償請求を認めたら失火者は間違いなく一発で破産。不法行為の考え方自体は現代人類共通のルールなのかも知れませんが、そこに修正を加えたわけです。(この理由でいいんだよね…)
さらに失火責任法自体にも原則と例外が含まれています。失火の場合は原則として損害賠償責任がありませんが、失火者に重過失があった場合は「その限りにあらず」、つまり例外になります。確か「寝たばこ」は重過失になるはずです。
ここにおいて「原則が優先だー」と叫んでみても、それでは例外規定を作った意味がない。例外規定は原則に優先するのです。「寝たばこ」が原因で火事になって延焼して他人に損害を与えた場合、「原則賠償責任がある」けど、「失火だから賠償責任はない」、かと思いきや「失火者に重過失があるから賠償責任がある」ということになるのです(もちろん原則は「例外」を解釈・判断する上で重要なよすがとなりますが)。
というわけで、今回のキーワードに関するルールの解釈も、大多数の皆さんが考えていることで間違いないと考えます。
ただ、日本語文法が、はてなキーワードを含む日本語を使った諸活動の上位規範かと言えば、全くそうではないと言えます。id:mutronix:20031229#p5さんやmittyさんところのコメント欄におけるjounoさんらの発言にもあるとおり、文法というのは言語を説明するための便宜的なものであって、規範ではないはずです。我々は文法など意識せずにしゃべっているし、何十年かあとには「ら抜き」が文法として国語の教科書に載っているかも知れない(ここにおいて「文法至上主義者は平安時代の言葉でもしゃべっていればいいんだ!」という極論が成立し得ます)。
法律には、「特定○○」という文字がついたものがたくさんあります。これは、「○○」のうち政策の対象とするものを限定するものです。例えば、「特定非営利活動促進法」というのがあります。いわゆるNPO法ってやつです。

(定義)

第二条 この法律において「特定非営利活動」とは、別表に掲げる活動に該当する活動であって、不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与することを目的とするものをいう。

2 この法律において「特定非営利活動法人」とは、特定非営利活動を行うことを主たる目的とし、次の各号のいずれにも該当する団体であって、この法律の定めるところにより設立された法人をいう。 (略)

日本語において「非営利活動」とは営利を目的としない活動全体を指すと思われますが、この法律においては、この法律が適用される「非営利活動」を限定(「特定」)しています。
id:YasudaS氏の主張を踏まえれば、法律も日本語で書かれている以上日本語文法の下位にあり、よって「特定」なんておかしい、俺のNPOにも法人格や税制優遇を与えろ!という主張が可能になります(はてなの「多くのユーザーにとって有益であるため固有名詞化されたキーワード」とは、なんとなれば「特定名詞」とでも命名できます)。いかにむちゃくちゃなことか。
文法を「ルール」として捉えてしまうのは、日本語への美意識の観点を除けば、英語教育の影響だと思います。国語の授業でも文法をやりますが、やはり文法といえば英語での苦労を思い出される方も多いのでは。英語の文法だって日本語の文法と同じく、英語の構造を説明するためのもの以上のものではないと思いますが、受験英語の世界で育ってくると、「文法と違ったやり方」=「減点(間違い)」となってしまいます。よって「文法と違っている!そんな大人修正してやる!」という思考になってしまうのでしょう。
なおこの文章に結論はありません(笑)。

さて、コミケへ行ってきます。ゆっくりめに。

念のために申し上げるならば、私がコミケに行くのは、「メディア産業の実情」「著作物の二次利用をはじめとする知的財産権の諸問題」「わいせつ物を巡る刑法、児ポ法、各地の青少年健全育成条例上の諸問題」「観光としてのコミケの可能性」「臨港地域の振興策」「自治体の『箱もの』の活用に関する実例」「ボランティアを活用する新しい組織形態の実例」「コミュニティー内部での自治の実例」「コミケが周辺商店・交通機関に与える経済効果」「衰退著しい国内繊維業界に対するコスプレの影響」「森林保基金による環境運動」「大規模イベントにおける保安・防災上の諸問題」「税法の適用関係」「ゴミの分別状況」等を把握し、今後の政策立案に生かすための「視察」であります。


嘘です。ごめんなさい。
今日これを書くために前々からへりくつを考えていた私はどうかしていると思いました(笑)。