ルール「有用」の政治

一連の「郵政国会」は、部外の人間から見ると非常に興味深いものでした。特に、国会審議で飄々と答弁していた政府広報室長の立派な態度には、同じ役人として感涙を禁じ得ません。また、郵政民営化準備室近辺から伝わってくる悲鳴に近いものはしばしば耳にしましたが、ご愁傷様としか言いようがありません(こんなことを言っているとそのうち面倒なことに巻き込まれる)。それはともかくとして、いよいよ選挙です。何が起きるやら。


さて、郵政法案の一連の経緯の中で、興味深いことが二つありました。それは、自民党総務会における多数決と、衆議院の解散です。郵政民営化法案の閣議決定・国会提出に当たり、通常は「全会一致」で決まる(あるいは総務会長預かりにする)はずの総務会決定が、多数決でなされました。「ルール」としては、結党以来多数決で議決することができましたが、実際に多数決で押し切ったのは今回が初めてと聞きます。それまでは反対者は部屋を出たりしていたとか。


衆議院の解散も、「ルール」上は何ら問題ありません。いやうそ。確かに7条解散の是非というのは憲法論争の一つの争点ではあり、総理が自由に解散を行えるものではないとの説もあります。しかし、実務上といいましょうか、政治的には7条解散には制約はありません(内閣法制局解釈も同様)。
本件に関しては、「参院で否決されたからと言って衆院を解散するのは、憲政の常道に反する」との批判がなされました。「憲政の常道」が何を意味するのか不明なところがこの批判の弱いところです。確かに、憲法上は、法案を衆院が可決し参院が否決した場合、両院協議会を開いて協議し、それでもまとまらなければ衆院で特別多数で可決・成立させることができます。筋から言えば、この手続を全てやった上で衆院解散、ということなのでしょう。しかし、郵政法案の衆院での投票結果は、わずか5票差。特別多数を得ようと思ってもう一度衆院に上程したとしても間違いなく否決です。であるからして、今の段階で解散することは何ら問題ないように思われます。理屈としては、ここで衆議院の三分の二を「小泉自民党」(+郵政法案に賛成する民主党の一部)で固め、秋の臨時国会衆議院可決、参議院否決、衆議院特別多数で可決成立というのは美しい筋書きです。そう考えると、あながち「やけっぱち解散」「八つ当たり解散」と言い切ることはできないように思います(現実には、小泉自民党+αが三分の二をとれるとは思えませんが…)。


ルール上問題のないはずのこれら二つのアクションが摩擦を引き起こしています。いや、私も法学徒の端くれですから、明文化された規定が法の全てだとは言いません。慣習や先例というのも重要な判断材料です。しかしながら、感情のこじれを引き起こしたのは事実としても(政治は義理人情の世界ですから…)、ルール上の明確な問題点は見あたりません。
ひょっとすると、今後の政治は、ルールのぎりぎりを積極的につきながら行われるのではないか。そうやってルールが精緻化していく方向になるのではないか。ルールをうまく扱う人間が政治的に成功するのではないか。義理人情を超えた、新しい政治の形が始まる。そんな予感を感じさせました。それがいいことか悪いことかはわかりませんが。