予算は使い切る!

役人になる前には大学生だったのだが、そのころから「役人はこんな酷いことをやっている、これは変えねばならん」とか思っていたものがいくつかあるわけです。その一つが「予算使い切り」という悪習。
役所に入って驚いたのは、本当にそういう「使い切り」をやっていること。よく年度末の道路工事と絡めて語られますが、国交省だけでなく他のどの役所、どの局、どの課でも使いきりはやります。
使い切る理由として挙げられるのが「予算を余らせるとその分削られる」ということだけど、これが全くそのとおり。主計局の担当官に「なんでこんなに余ってるの」「じゃいらないね」と言われ、「いやいやこの不用にはこれこれこういう理由がありまして…」とか反論することもしばしば。けど削られちゃう(使い切れず余った予算を「不用」と言います)。
なぜ削られることが問題か。一つは役人の評価システムの問題。今はだんだんそういう風潮はなくなりつつあるけど、それでも「権限を拡大した役人はいい役人」という風潮は、実際のところある。「権限」の中には予算も含まれるので、予算を分捕ってきた役人は優秀であると。ということは逆に予算を減らした役人は優秀でないということになる。だから予算を減らしたくない。
もう一つ。例えば去年はそんなに予算がいらなかった、しかし来年は一昨年レベルで予算が必要になるという場合がしばしばある。そういうときには「増額要求」をするわけだけど、この増額要求がとてつもなく手間がかかる。主計局は既存予算をいちいち見るほど人的資源が有り余っているわけではないので、必然的に新規要求、増額要求を重点的にチェックする。主査や担当官はめちゃくちゃ詰めてくるので、新規・増額の要求は非常に時間もかかるし、説明資料を作るのも大変だし、とにかく手間。たまたまそんなに予算を使わなくて済んだ年でも、それが「たまたま」であることが分かっていれば、いちいち増額要求するのも手間なので使い切ることにする。
さらに言えば、一度減額されてしまうと、その減額された分は他の課なり局なり役所なりが使うことになる。ということは、増額しようとすると他の部署の予算を引っぺがしてもってこなきゃいけない。他の部署は当然引っぺがされたくないので抵抗する。ということは、増額は非常に難しいということになる。
というようなメカニズムから「使い切り」が発生します。ではこれをどうするか。システムとして使い切りが発生する以上、他の様々な社会問題と同じように、「使い切りするな」と言えば済む問題じゃない。とすると、いかに役人の評価システムを変えていくか、いかに予算の増減を柔軟に行っていくシステムにするか、ということ。
例によって私には解がないんですけど。主計局の担当官の数を5倍ぐらいにすればいいかとも思ったけど、そうすると財務省内部での調整システムがややこしくなるだけだしな…。会計検査院は…うーむ。